セイバーは悲劇のヒロイン?FateゼロからFate本編に見るセイバーの横顔!
「Fateといえばセイバー」と言われるくらいFateを見たことなない方もセイバーは知っているという方は多いと思います。
「女騎士」の原型ともいえる彼女、のちの女騎士キャラへの影響力は絶対的なものです。
今回はセイバーの紹介と、「Fateゼロ」と「Fate本編」を比較して彼女の性格の変遷を指摘して、そこから得られるマスターとサーバントの関係、コミュニケーションの大切さを考えてみたいと思います。
セイバーの紹介
Fateのメインヒロインであるセイバーとは一体どのようなサーバントなのでしょうか、簡単に紹介します。
あまり知られていない「セイバー」の意味
「セイバー」とはサーバントのクラスのことで、剣士のことです。
マスターによって召喚されるサーバントはそれぞれ得意分野があり、例えばキャスターは魔術師なので魔法を使った攻撃が得意、ランサーは槍使いなので槍をメインウエポンとする戦士、といった具合です。
中でもセイバーは「最優」のサーバントと言われ、「対魔力(魔法攻撃に耐性がある)」と、「騎乗(乗り物ならなんでも乗りこなせる)」というスキルを持っています。
「セイバー」は40人以上存在する
現在公開中のFate/stay night Heaven`s feelには黒い衣装を着たセイバーが士郎らと戦います。
彼女は「セイバー・オルタ」といい、私たちが思い浮かべるセイバーが「黒化」したキャラで、一応は別のセイバーとされています。
またテレビアニメ第1作の「Fate/stay night」においてセイバーが過去のブリテンでの息子の反乱を思い出すシーンがあります。
そこでセイバーと相打ちになる形で出てきたモードレッド、これも「赤のセイバー」と呼ばれています。
この赤のセイバーは「息子(少女ですが)」なのでセイバーとは別人ですが、「セイバー」と呼ばれています。
このようにFateにおいてセイバーと呼ばれるキャラは40名以上おり、みな同じ顔をしているため混乱されるかもしれませんが、全員別人(オルタやリリィは同一人物ですが)です。
Fateゼロと本編に出てくるセイバーは「アルトリア」というのが真名で、劇中はそのクラス名のセイバーと呼ばれています。
今回紹介するのは「アルトリア」です(以下、セイバーと呼びます)。
セイバーのスペック
そんなセイバーは「魔力放出」という特別のスキルをもっています。
簡単に言えば体内に魔力の増殖炉があり、魔力のブーストによりRPGにいう「会心の一撃」を出すスキルです。
とくに正々堂々の一騎打ちでは無類の力を発揮します。
しかし切嗣がマスターの場合、この能力がセイバーの足を引っ張り「Fateゼロ」でのセイバーが精彩を欠く原因となりました。
セイバーの正体
ブリテン(イギリス)のアーサー王です。
Fateではアーサー王は女性だったという設定で、聖剣エクスカリバーを引き抜いたことで王となりました。
ところでFateのサーバントは自分の真名を知られると、戦いが不利になるという設定があります。
それゆえ、セイバーはエクスカリバーを魔力で不可視の剣とし、自分がアーサー王であることをひた隠しにして戦いに挑みます。
セイバーの性格
セイバーを表す表現として「生真面目」「丁寧」「律儀」「凛とする」「負けず嫌い」「カタブツ」といったワードが多用され、「委員長タイプ」の女の子(実年齢は30歳近い)が浮かんできます。
そして別名「腹ペコ王」と呼ばれますが、士郎からの魔力供給量が少ないため食事により魔力を補っているからで、別に食い意地が張っているわけではありません。
このようなまじめな性格のセイバーですが、闇討ちや卑怯な手も戦闘では躊躇しません。
カタブツのセイバーが卑怯な手を使う、この点に違和感を感じる方も多いようで、本稿ではその理由を探ってみようと思います。
衛宮家とセイバーの関係
セイバーはFate/stay night(以下本編)では衛宮士郎、Fateゼロ(以下ゼロ)では衛宮切嗣をマスターとしており、親子2代にわたり衛宮家のサーバントとなっています。
まずは士郎と切嗣を簡単に紹介してみます。
衛宮切嗣
士郎の養父で、士郎が「じいさん」といって終生敬愛し、現在の士郎の性格形成に決定的な役割を果たした人物です。
魔術師の家系に生まれた彼は幼少のころ、危険な魔術の実験に没頭する父とある島で隠れて生活していました。
彼はシャーレイという女の子と友達でしたが、父の魔術サンプルの暴走により彼女を死なせてしまい、島の住民にも多数の死傷者を出してしまい、父の危険な実験を止めるため自ら父を殺したのでした。
その後、父への刺客として島にやってきたナタリアとともに彼も暗殺者としての道を歩むことになりますが、ある時仕事でミスしたナタリアを自らの手で殺さなければならなくなりました。
大勢の命を救うにはナタリアを殺さなければならないが、ナタリアへの情も捨てきれない切嗣、その葛藤の末ナタリアの死を選んだ彼はとうとう人間性が壊れてしまったのです。
切嗣の性格の変遷を図示すれば、
・シャーレイや島の住民の惨劇を目撃
↓
・すべての人を救いたい
↓
・ナタリアと大勢の人々の命を両天秤にかける状況に遭遇
↓
・「数の多いほうを選ぶのが正義」と判断
↓
・「すべての人を救う」理想が挫折
↓
・あらゆる理想を憎むようになる
という風にまとめることができます。
そして理想を具現化したものが「英霊」であり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの論理でセイバーにつらく当たっていたのです。
そんな彼は傭兵としてアインツベルン家にやとわれ、アイリスフィールと恋仲になりイリヤという一女をもうけました。
アインツベルン家は聖杯を欲していたので、第四次聖杯戦争に参加、しかし聖杯の呪いに気が付き聖杯を破壊、しかし冬木市の大災害は発生してしまいました。
衛宮士郎
大災害の中ただ一人生き残った子供が士郎で、彼を発見した切嗣は涙ながらに「よかった」を連呼、その顔は士郎の脳裏に焼き付きました。
孤児となった士郎を引き取った切嗣も数年後に死亡、高校生になった士郎が第五次聖杯戦争に巻き込まれるのが本編のストーリーです。
士郎の中にはエクスカリバーの鞘が埋め込まれています。
これは士郎の生命を助けるための措置で、これが触媒となってセイバーが召喚されたのです。
士郎は切嗣をヒーローとして尊敬し、終生の目標としてあがめます。
士郎の自己犠牲ぶり、みんなを救いたいという願いはあの災害を生き延びた以上、この命は人のため尽くさないといけないという本人の使命感以上に、切嗣への盲目の信頼が根っこにあるのです。
それではこんな切嗣と士郎、2人のマスターとセイバーの関係はどのようなものだったのでしょうか。
セイバーをめぐる人間関係
ここでは切嗣と士郎の2人に絞って紹介します。
切嗣との関係
はっきり言って最悪でした。
信じられないかもしれませんが彼はゼロのラストでセイバーに聖杯の破壊を命じたときまで、彼女と一切口を利きませんでした。
劇中、切嗣が一方的に作戦を述べ、セイバーの質問に対し一切無視し、不承不承にセイバーが作戦を実行するのがお決まりでした。
またセイバーの醍醐味は一騎打ちにあるのに対し、切嗣は暗殺や不意打ちが得意でした。
切嗣の卑怯な作戦に付き合わされたセイバーが第四次聖杯戦争で能力を十分ふるうことができなかったのは、マスターの作戦とセイバーの能力の不一致が大きな原因です。
士郎との関係
相性抜群です。
ともに理想家同士、息もピッタリです。
それでも第五次聖杯戦争でセイバーが苦戦したのは、士郎の魔力供給量が不足していたからです。
対等の存在としてセイバーを扱う士郎、そんな士郎に彼女は心を開きます。
そして再び聖杯を破壊するセイバーでしたが、前回のように悲しみではなく一種の達成感がセイバーの顔には見られました。
本編とゼロでセイバーの性格が異なるのはなぜ?
ゼロのセイバーは二言目には騎士道といって絶対に卑怯な真似はしません。
本編のセイバーはキャスターの油断をついて奇襲を仕掛けたり、ランサーに剣を持っているかと尋ねられた時「さあ、槍かもしれんぞ」など平気でうそをつきます。
この矛盾点について本編の原作者である奈須きのこ先生の設定を、ゼロの原作者である虚淵玄先生がよく理解していなかったからだとの悪口が聞かれます。
この点、虚淵先生は奈須先生との対談で「本編のセイバーを見たとき、どうしてこんな性格になったのかを前日譚として描きたかった」と述べています。
とすれば、虚淵先生はセイバーの性格を十分に知悉していたわけで、本編とゼロの矛盾という悪口は的を射ていないと思います。
ではどうしてこのような違いが生まれたのでしょう?
私はセイバーが、マスターという存在は自分の話を聞いてくれない、そしてマスターはどんな卑怯な手を使っても聖杯さえ手に入ればよく、サーバント側がマスターに合わせるべきだと考えたからではないかと思うのです。
しかし士郎は違った、彼はセイバーをパートナーとして大切に扱い、セイバーもそれに応えて能力を十分に発揮、最終的には聖杯を手に入れることは叶いませんでしたが、セイバーには満足感が生まれました。
士郎と切嗣に見るセイバーとの関係性とコミュニケーションの大切さ
一切セイバーとコミュニケーションをとらなかった切嗣と、セイバーとコミュニケーションをとって心を開かせた士郎、そしてセイバーから見た2人。
セイバーには士郎と切嗣の2人は真逆の存在に見えたことでしょう。
しかし士郎と切嗣は真逆ではなく、むしろ同質の鏡合わせのような存在なのではないでしょうか。
理想に敗れた切嗣、理想を実現したい士郎、同根は同じです。
そして「未来の士郎」ことアーチャーも理想に敗れたことで切嗣と同じ道を歩みました。
そして切嗣がセイバーとじっくり話し合えば本編での「やさぐれセイバー」ともいえる性格が少し歪んだセイバーは生まれなかったのではないかと考えます。
またアーチャーが本編で士郎とじっくり話せばアーチャーの憎しみは生まれなかったのではないでしょうか。
アーチャーは過去の自分を憎み、士郎さえいなければと刃を向けますが、別に無用の争いをしなくてもアーチャーは過去の素直な自分を取り戻すことができたと思います。
士郎も切嗣とじっくり話せば自己犠牲やみんなを助けることができない絶望感にとらわれずに済んだかもしれません。
セイバーも士郎も切嗣も、未来の士郎であるアーチャーも本質的にはコミュニケーション下手だということがわかります。
そしてFateにおけるほとんどの悩みは彼らが十分に信頼しあい、コミュニケーションをとることで解決できたのではないかと思うと、ゼロも本編も違った様相が見えてくるのではないでしょうか。
「Fate/ stay night Unlimited Blade Works」で凜が士郎に「あんたは人間を必死でまねようとしているロボットなのよ」と罵倒しますが、凛は本質的に士郎とのコミュニケーションの壁を感づいていたのではないかと推測します。
Fateで奈須先生が伝えたかったこと、それは「コミュニケーションの大切さ」だったのではないでしょうか。
Fateをご覧になられるなら、1度コミュニケーションの視点で視聴されれば違った解釈ができるかと思います。
マキナ
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